ある光
そのころ、わたしたちは鶯谷の上野カトリック教会の近くでお茶をするのが習わしだった。
わたしは三十代で、みんなのあいだでオザケンの話は定番だった。ちょうど渡米したころだと思う。王子様は行ってしまったのだ。
鶯谷のルノアールはヤクザが話し合いの場に使っていて、わたしたちがオザケンや神様について話している後ろで「××には落とし前をつけてもらわないと」などと物騒な話し合いをしていた。
「水島さんの後ろで、ヤクザが!」
生まれて初めて作ったスーツはモッズスーツだったという男の子が、腹をよじるようにしてルノアールの階段で笑った。
みんな若かった。先行きは暗かったけれど、無我夢中だった。
どうしているか、どうしているか。
あれからもう、二十年経つのか。若かった。