君の名は3 ~名付け親ができたよ~

名付け親というのは良い制度だ、と思う。

もし生みの親が死んでもだ。名付け親が後見人のような役割を果たす可能性が残る。

だから強引に名付け親の役割を黒木君に担わせることにしたのだ。わたしの願いは、この子たちが自由に、思うがまま生き、かつそれが一日でも長いことだ。

黒木君は優しい男だ。稼ぎがないところは「弱者男性」にカテゴライズされるんだろうが、優しいことだけはわたしはよく知っている(だから奴はよくモテる)。保護者としては心許ないところもあるが、わたしと夫がなんらかの事故で両方一緒に死んだとき、貰い手を探すぐらいの手間は猫たちのためにかけてくれるだろう。

猫たちはカツオが効いて、一発でわたしに懐いた。なんというか全員が「るん♪」という感じで、兄弟姉妹同士で追いかけあったりしている。子猫が騒いでいるっていいもんだなあと思う。猫たちが未来を信じる気持ちが伝わってきて、こちらも元気になる。

よしよし、きょうもサカナを買うてきちゃる。待っていなさい。

キャットタワーと呼ばれる、猫の運動用の登り棒みたいなのとか必要かなと思ったけど、別にいらない様子だった。猫たちは二階へ至る階段を全身のジャンプ力を振り絞って登ったり(まだ段差が猫の身長には厳しい)、大塚家具で買ったソファをキャットタワー替わりにして運動している。布張りの物入れの箱は、爪とぎと認識されたようだった。よいよい。この家は今日から君たちのものでもある。好きになさい。

それにしても呼び名がないというのは困りものだなと思いつつ、三日目終了。

翌日、目が醒めるとmixi経由で黒木君からメッセージが届いていた。

「猫の名前の発表です。ブルー、メロネ、マーチン、ディグ、バードです」

五匹分なのは、夫が一匹だけ毛色の変わった黒白の猫を「この子はガモーって名前にする」と決めたからなのだ。

黒木君は名前をつけるためにまた会社をサボってしまい、87回目の失業が迫る事態に陥っていた。

煩悩の数まで転職を重ねたら、お祝いしような。

BGMはコルトレーンで。

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君の名は2 ~峠の我が家~

海辺の町からどんぶらこ。平地を走って平地を走って山登り、峠を越えると我が家である。

後部座席に収まったゲージのなかの子猫六匹は静かだった。乗っているのかどうかわからない。一方、わたしは少なからず興奮していた。猫。六匹。見えない重責が我が肩にのしかかる。

大丈夫さ、わたしには小松美彦がいる。この選択は間違ってない。

たくましくなろう。

それから、この家、買ってしまおう。

大家とは良好な関係を築いているし、わたしは震災で持ち家というものに懲りているのだが、猫六匹引き取って貸家で願いますというのもちょっと図々しい。大家は家を買い取って欲しいのだ。わたし次第で明日にも話はまとまる。夫が駐車場でふらつき猫を「猫ちゃん」と言い出したときに「家の買取」は意識にあったが、六匹だったら決まりである。

寅吉(仮名)たちはタダであったが、借家を買い取るというオマケがついてきた。タダより高いものはない。この家、ボロいけど、あの海辺の猫屋敷を思えば綺麗なものだ。新品同様である。それも猫六匹により風前の灯火だな。

まあいいや。

とりあえず家についたのでゲージを空けてみた。猫たちはおそるおそるゲージから出ると、部屋のいちばん片隅の、本棚の一段目に寄り添って身を隠した。貰ってきたカリカリを置き、水を配置し、猫トイレを設置した。こんなもんか?

わたしは自分で猫を飼ったことがない。実家で猫を飼っていたことはあるけど、主に姉が世話をして、わたしは犬の世話をしていた。そのほうが性分に合っていた。だから猫を飼うことには無知なのだが、大丈夫だ、と自分を励ませる理由があった。わたしにはブレーンがいた。黒木君という。北九州出身のミュージシャン(食えない)である。六本木とかのしゃれたところでライブをやってるけど、食えない。クラブのDJだった時代は食えていたみたいだが、食えない(しつこい)。何度も転職しながら食いしのいでいる(しつこい)。彼は大の猫好きなのだ。

「もしもし黒木くん?わたし。突然だけど、猫の名付け親になって」

「猫ぉ? 自分で貰ってきたんだから自分で名付けなさいよ」

「そうはいかない。愛をこめて悩んでつけてくれ。ちなみに、六匹いる」

「六匹?! あんた正気か?」

「失礼な。正気も正気、大真面目だ。あ、ところで猫って何を食べるの? 何を食べさせればいいんだろう」

「僕の家ではキトキトの北九州の刺身でしたね!猫は家族ですからね!自由にテーブルの上を歩き回って、好きにお刺身を食べてましたよ!」

黒木君の家は街金で、彼の家の写真を見たことがあるのだが、サラ金御殿に住んでいる。ようは実家がそれはそれは太い。

カチンときた。

その勝負、受けた。うちの猫にだって刺身ぐらい食わせてやらあ!

「『一、二、三……』とでも呼んでおきなさいよ」

「それは嫌だ」

「じゃあ、ウィンドウズで行きますか。『DOS、95、98、ME、2000、XP』とか」

「バグが出る」

「じゃあ、違法薬物とか。『シャブ、ブロン、シンナー、大麻、コカイン、、、』ってな具合に」

「冗談じゃないよ!」

「うーん」

「あ、ジャズにまつわる名前とかどう?」

「じゃーずー? 俺、ジャズ聞く奴って嫌いなんですよね」

「決めた。マイルス・デイビスにまつわる名前で。よろ」

当時、マイルス・デイビスを聴いていた。理由はっていうと、なんとなく。

こうして「猫には刺身」というアドバイスをもらったわたしは、おおよそ大丈夫だと思い、風呂に入って寝ることにした。見れば夫は茶の間で裸の大将のような恰好で転がって寝入っていたが、自由が我が家の気風である。みんな思い思いにすればよろしいと思い、わたしもmixiに猫六匹を引き取ってきたことを報告し、寝ることにした。

翌朝起きると、夫は仕事にでかけていた。猫はまだ寝ているのか、姿が見えなかった。わたしは魚屋のあるスーパーに出かけた。カツオ丸ごと一匹が氷の上に載せられていて輝いていた。引き取ってきた日が6月30日。初ガツオの時期は過ぎているが、カツオは美味なはずだ。

「このカツオ、お刺身にしてください」

丸ごと一匹お買い上げして御造りにしてもらい、発泡スチロールの寿司桶のような入れ物に刺身を入れてもらって帰ってきた。いまのうちに魚屋とは親しくなっておくべきだろう。今後なにかあったとき、ここからサカナのアラなど貰うという手もある。

仕事から夫が帰ってくると、子猫たちが登場した。おそるおそるといった様子だが、部屋のなかをもったいぶって一歩、一歩あるいてあらためている。トイレの砂は部分的に固まっていた。わたしがいないうちに済ませたりしたようだ。

夫がいう。

「きょうさー、寝てたら乳首がなんか気持ちよくなって。見たら子猫がチューチュー僕の乳首吸ってた」

あとで黒木くんにこの話を報告したら、「子猫に乳首を吸われて気持ちよくなるなんて変態ですね!」と罵倒していた。

さてここでカツオの刺身の登場である。探検している猫たちのまえに、桶ごとカツオの刺身を一匹分、差し出した。子猫たちは最初戸惑っていたが、「食べ物である」と認識してからはすごかった。「ぐるるるるるるる」という鳴き声とともに、輪になって総出でカツオを襲撃したのだ。

脇目もふらず、カツオを食う。

カツオはみるみる食い散らかされていった。このへん、野良だった時期のある子猫たちだけある。発狂という表現が相応しい食べっぷりである。

はっはっはっは、我が財力、思い知ったか。

だれと勝負しているのか解らないが、わたしは勝ち誇り、夫に猫たちの写真を撮ってくれと頼んだ。あのおばあさんに送るのだ。安心して欲しい。猫は、立派に育てています。

 

ちなみに「猫にカツオを食べさせました」という報告の手紙には、返事がこなかった。不興を買ったような、気がする。

 

 

 

 

煮てます!

本日の夕飯はこれ。

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現在、春キャベツを大鍋でグラグラ煮てるとこ。鶏団子も作り終わって投入のタイミングを待っている。この料理、見た目より簡単だ。もっと面倒なんを想像してたので、もう一品は簡単なのを予定してしまった。

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ひじきは缶詰のが手に入らなかったので乾物で作るんだけど、水戻しするだけなわけだし。簡単簡単。

もう一品は大根おろし程度にしようかなと思ったけど、あまりにも手抜きだからなんかもうちょっと考えようかなあ。

 

完成。ホント簡単だった。美味かどうかは家人に試食させないとわからないけど(水島は味覚音痴。だから自分の舌に頼らず、「きょうの料理」通りに作る)、これで美味だったらリピート候補だな。(後記・おいしくなかった)。

君の名は

我が家には猫が二匹いる。黄色の猫と灰色の猫で、黄色の猫の名をマーチン・キャッツという。鳴き声が外国の猫っぽくて「キャー」とか「キャッ」と聞こえるからキャッツだ。もっとも当人的には、わたしの視界に入るたび「かわいー!」「くわぁわいい!」と言われているため、自分の名は「可愛い」だと思っている可能性がある。自分はいろんな呼ばれ方をするけれど、フルネームが「マーチン・くわぁわいい・たまらん」あたりなんだろう―――猫の語彙力による理解じゃそんなところじゃあるまいか。

マーチンとの出会いは震災の翌年にさかのぼる。海辺の町にドライブに行ったら、うどん屋の駐車場に野良猫とおぼしき猫がいた。野良猫を見た夫が「僕、この猫ちゃんを拾っちゃおうかな」と言い出す。突然である。いきなりである。衝動的である。

そこでそのへんの人に「この猫は捨て猫ですか」と尋ねた。するとちょっと待っていろと地元の人が駐車場の隣のパチンコ屋に入っていく。そしたら目つきのおっかない、ヒョウ柄とスパッツといういで立ちがよく似合う中年女性がくわえ煙草で現れ、「あんたら?猫が欲しいっていうのは」という。

はいまあ、ついさっき夫が突然。

「あんたら猫を捨てたりせんよね?」

しないタイプです。

「猫を捨てるのはいかん」

はいイカンことだと思います。しばらく質疑応答。猫を捨てる人間は大変よろしくないという一説をぶたれたあと、なぜか、

「この猫はダメだ」

と言われる。そして自分のあとについてこいという。河川敷を歩いてどこかに案内されているようなのだが、そこがどこかわからない。

やがてついた「平屋(いい表現)」の庭先に、黄色い子猫がいて「キャー!」と声をあげて我々を歓迎した。口角があがっていて、目がくりくりしていて、黄色地にバンビさんのようなブチがある。人を恐れる様子もなく足元に近寄ってきた。だがしっぽが妙で、「奇形か?」と思った。これがのちのマーチンである。夫は一目見るなり「僕、この子を寅吉って名前で飼っちゃおうかな」とタイガースファンのようなことを言い出した。

その家には「明日死んでもおかしくない」ような背の縮んだおばあさんがいて、妊娠している猫もいた。いわゆる猫屋敷である。障子は全部ボロボロ。換気がいいにもほどがある。擦り切れた畳の上を、異常な数の猫がかけまわっている。そこにやけに立派な仏壇だけが「来世良いとこ一度はおいで」とばかりに飾られている。おばあさんは「猫を捨てない人に一匹でもいいからもらって欲しい」と切々と訴える。そして「寅吉(仮名)」の兄弟だという猫たちを段ボールから取り出し「この子も可愛い、この子も可愛い」とわたしに差し出し、「どの子でもいいから、あんたが捨てない猫を貰ってくれ」という。なんでも寅吉(仮名)たち兄弟は捨てられていたそうで、見るに見かねて拾ったはいいけど、自分のところの猫も妊娠していてこれから子が生まれるし、正直、途方に暮れているのだという。

暮れるはずである。

というのも、寅吉たちはすでに子猫の時期を脱しつつあり、すでに「児童猫」ぐらいに大きくなってきていて、この捨て猫が多い県だと貰い手がつかず殺処分待ったなしな境遇にいるのが一年しかこの地で暮らしていないわたしでもわかるのだ。川に流すからね、子猫。この県では、いまだに。おまけにその横では白い雌猫が「妊活成功!」とばかりに膨らんだ腹を自慢げに突き出して座っている。

さあ選べ!と、六匹の猫が差し出された。

ちなみにわたしは猫嫌いである。

わがままそうでずる賢そうな目つきが苦手なのである。この世でいちばん可愛いのはちょっとおバカな柴犬という、そういう日本人である。

しかしこのとき、わたしの脳に降臨した人物がいた。小松美彦だった。

そう、生命倫理学の学者で脳死論者の大家、東大教授(このときはまだ別の大学の教授だった)の小松美彦である。彼の厳しい顔つきとともに、声が(幻聴)聞こえる。

「生を肯定する いのちの弁別にあらがうために」

同様のタイトルの本が青土社から出ている。個人的には自死願望のある人に手に取って欲しかったりする。

冗談みたいな話だが、本当だ。わたしはこのとき、小松美彦の声を聴いた。

このインパクト、水島的には天孫降臨に匹敵する。

突然の成り行きで猫を飼うことになったわけだが、うどん食べるまえはそんなこと予定にもなかったんだけど、しかもわたし猫嫌いなんだが、だというのにこのなかから一匹だけ選ぶことが、いのちの弁別、つまり優生思想に思えるのである。ちなみに寅吉はしっぽが変だった。Uの字に曲がっているのである。しかも短い。だれかに悪戯されて切って折られたみたいな形をしている。あとで聞いたら、しっぽが短い猫というのはいるんだけど、胎児の時期に兄弟に押されてしっぽの骨が折れて固まったりすると、Uの字に曲ったようなしっぽになるそうだ。マーチンのしっぽはレントゲンを撮るとUの字なのだ。

この猫なんかどうだと、飛び切り見た目のいいしっぽの長い猫(のちのバード)が差し出された。

一匹選べば五匹が殺処分。

脳のなかでは小松美彦が問う。君のなかに優生思想はないかと。

答えは決まった。

「六匹全部、頂戴します」

夫が叫んだ。

「責任取れんのかよ!」

取る。いや、わたしだってどうやってとるのかわからないけど、そんなもん、あとから帳尻を合わせりゃいいだろ!ていうか君はなんなんだ。いきなり衝動で猫が欲しいといったり人に責任を問うたり。訳わからないだろが!

こうして六匹の猫が我が家にやってくることになった。

おばあさんは薄汚れたゲージを用意してくれた。そして手紙をくれと涙ながらに頼んだ。ヒョウ柄のおばさんが柄にもなくもらい泣きしていた。猫は少しも鳴かずに車に収まり、海辺の町から一転して山奥の我が家へとやってくることになった。

読む本は人の行動に影響を与えると思う。

いわゆる「表現の自由派(わたしにいわせればドスケベブックの自由派)」は、空想と現実の区別はつくとかいうけど、嘘だって。悪書は人を悪の道に誘い、そして良書は人の行動を良い方向に導く、はずだ。レイプは楽しいっていうポルノを読めばやってみたいなと思うだろうし、いのちの弁別に抗う本を読めば六匹の猫を引き取ることに……普通はならないか。ならないような、気はしなくもない。

でもいいの!これでいいの。

わたしは心のなかの小松美彦に誓った。

猫は苦手ですけど、それなりにうまくやっていきます。天から見守ってください。

ちなみに小松美彦は東京にいて、天国にはいない。

家について判明したのは、ゲージのなかに敷いてあった新聞紙が、聖教新聞だったことだった。 

 

あ、長くなったから続く、で。

旅行けば~

所用で隣県に一泊となったので、用事を済ませたあと食事ぐらい楽しんでいこうかという話になった。ナビで繁華街を入力したところ右折を間違えて細い路地に迷い込み、

 

 

ソープ街

 

 

のど真ん中に出てしまってヤクザみたいな男4人にむこうからにらまれて滅茶苦茶怖い。慌てて逃げだしたらどんどん道幅が狭くなって奇跡のドライブテクニックで脱出するはめに陥った。全然関係ないけど、家人にハンドルを任せてあるとき住居のある県の県庁所在地を走っていたら、家人がふいに、

「このへんがソープ街なんだよ」

とボソリ。むこうから歩いてくる三人のさえない若者を指さし、

「たぶんあの三人はソープに行く」

なるほど見れば「嬉し恥ずかし朝帰り(これから行くとこだけど)」みたいな顔をしていやがる不細工なのに。

「よっし。『ソープ―!』って声かけてみよっと」と窓をスルスルと開けたら家人に血相変えて止められた。一生の心の傷になるのだという。なんでえ?

 

男心はよくわからないな。

 

ソープ街で思い出した。

 

スカート届いた!

Webで注文するには覚悟のいる値段のスカートを思い切って注文した。画像だけ素敵でダメダメなことが多いネットの商品だけど、今度のはむしろ実物のほうが迫力! 紺色のスカートで、上にふわっとレースがまといついている。これはもう、履いて出かけるしかない、遠くへ。

最近の買い物ではソフィーナのiP UV resisterがすごくよくって、さすがアットコスメで2位だけある。日焼け止めと下地を兼ねた「美容液」ってたまらない。これにファンデをのせると街のお姉さんみたいな艶肌に近くなる。これはもう出かけるしかない、遠くへ。

 

フォローしているブログ主もたぶん午後には更新のペースが落ちるだろう。夜を楽しみに出かけてこよう、遠くへ。