The End

ビリー・ジョエルというミュージシャンは、人気絶頂期のとき日本においては暴走族のお兄さんお姉さんの御用達だった。コークハイを飲んでビリー・ジョエルを聴き、シンナーを吸う。そういう文化のなかのひとつとして認識されたので、不当に評価が低い(本国アメリカにおいては知らない)。

わたしがビリー・ジョエルを再評価することになったのはいまから十年ほど前で、機会あって都心の家を手放して田舎暮らしを始めてからだった。田舎暮らしでは二回、移転している。そのときにたまたま「グッドナイト・サイゴン」という反戦歌の和訳を読んだ。渋い。訓練を終えた新兵たちが、遺体を入れるビニール袋で梱包されて前線を後にする――真夜中には敵の影におびえ、みなでドアーズを聴く。死んでいった友の名を呼ぶ。そういう詩だ。曲からドアーズの「The End」が聞こえてきそうなのである(音楽が音楽を連想させる)。

マイライフという曲の歌詞も面白い。現代的な生活(資本主義的、ってことだろう)に嫌気がさした男が家を売り払って西海岸で生活するのだが、たいしてうまくいってない、だがほっといてくれ俺の人生さと周囲を突き放すといった内容だ。当時のわたしの気分にぴったりときた。

ビリー・ジョエル鬱病に苦しんだらしい。だろうな、と妙に納得がいった。絶望したことのある人の書く詩だ。

わたしは音の洗練であるとかには疎いが、ビリー・ジョエルの詩が良いのは保証できる。

オーネスティとかも、褒めるのが恥ずかしいけど、やっぱりよいよ。