峠の水島家 ~猫を六匹引き取りまして

猫六匹との日々と、日常のつぶやき。

君の名は

我が家には猫が二匹いる。黄色の猫と灰色の猫で、黄色の猫の名をマーチン・キャッツという。鳴き声が外国の猫っぽくて「キャー」とか「キャッ」と聞こえるからキャッツだ。もっとも当人的には、わたしの視界に入るたび「かわいー!」「くわぁわいい!」と言われているため、自分の名は「可愛い」だと思っている可能性がある。自分はいろんな呼ばれ方をするけれど、フルネームが「マーチン・くわぁわいい・たまらん」あたりなんだろう―――猫の語彙力による理解じゃそんなところじゃあるまいか。

マーチンとの出会いは震災の翌年にさかのぼる。海辺の町にドライブに行ったら、うどん屋の駐車場に野良猫とおぼしき猫がいた。野良猫を見た夫が「僕、この猫ちゃんを拾っちゃおうかな」と言い出す。突然である。いきなりである。衝動的である。

そこでそのへんの人に「この猫は捨て猫ですか」と尋ねた。するとちょっと待っていろと地元の人が駐車場の隣のパチンコ屋に入っていく。そしたら目つきのおっかない、ヒョウ柄とスパッツといういで立ちがよく似合う中年女性がくわえ煙草で現れ、「あんたら?猫が欲しいっていうのは」という。

はいまあ、ついさっき夫が突然。

「あんたら猫を捨てたりせんよね?」

しないタイプです。

「猫を捨てるのはいかん」

はいイカンことだと思います。しばらく質疑応答。猫を捨てる人間は大変よろしくないという一説をぶたれたあと、なぜか、

「この猫はダメだ」

と言われる。そして自分のあとについてこいという。河川敷を歩いてどこかに案内されているようなのだが、そこがどこかわからない。

やがてついた「平屋(いい表現)」の庭先に、黄色い子猫がいて「キャー!」と声をあげて我々を歓迎した。口角があがっていて、目がくりくりしていて、黄色地にバンビさんのようなブチがある。人を恐れる様子もなく足元に近寄ってきた。だがしっぽが妙で、「奇形か?」と思った。これがのちのマーチンである。夫は一目見るなり「僕、この子を寅吉って名前で飼っちゃおうかな」とタイガースファンのようなことを言い出した。

その家には「明日死んでもおかしくない」ような背の縮んだおばあさんがいて、妊娠している猫もいた。いわゆる猫屋敷である。障子は全部ボロボロ。換気がいいにもほどがある。擦り切れた畳の上を、異常な数の猫がかけまわっている。そこにやけに立派な仏壇だけが「来世良いとこ一度はおいで」とばかりに飾られている。おばあさんは「猫を捨てない人に一匹でもいいからもらって欲しい」と切々と訴える。そして「寅吉(仮名)」の兄弟だという猫たちを段ボールから取り出し「この子も可愛い、この子も可愛い」とわたしに差し出し、「どの子でもいいから、あんたが捨てない猫を貰ってくれ」という。なんでも寅吉(仮名)たち兄弟は捨てられていたそうで、見るに見かねて拾ったはいいけど、自分のところの猫も妊娠していてこれから子が生まれるし、正直、途方に暮れているのだという。

暮れるはずである。

というのも、寅吉たちはすでに子猫の時期を脱しつつあり、すでに「児童猫」ぐらいに大きくなってきていて、この捨て猫が多い県だと貰い手がつかず殺処分待ったなしな境遇にいるのが一年しかこの地で暮らしていないわたしでもわかるのだ。川に流すからね、子猫。この県では、いまだに。おまけにその横では白い雌猫が「妊活成功!」とばかりに膨らんだ腹を自慢げに突き出して座っている。

さあ選べ!と、六匹の猫が差し出された。

ちなみにわたしは猫嫌いである。

わがままそうでずる賢そうな目つきが苦手なのである。この世でいちばん可愛いのはちょっとおバカな柴犬という、そういう日本人である。

しかしこのとき、わたしの脳に降臨した人物がいた。小松美彦だった。

そう、生命倫理学の学者で脳死論者の大家、東大教授(このときはまだ別の大学の教授だった)の小松美彦である。彼の厳しい顔つきとともに、声が(幻聴)聞こえる。

「生を肯定する いのちの弁別にあらがうために」

同様のタイトルの本が青土社から出ている。個人的には自死願望のある人に手に取って欲しかったりする。

冗談みたいな話だが、本当だ。わたしはこのとき、小松美彦の声を聴いた。

このインパクト、水島的には天孫降臨に匹敵する。

突然の成り行きで猫を飼うことになったわけだが、うどん食べるまえはそんなこと予定にもなかったんだけど、しかもわたし猫嫌いなんだが、だというのにこのなかから一匹だけ選ぶことが、いのちの弁別、つまり優生思想に思えるのである。ちなみに寅吉はしっぽが変だった。Uの字に曲がっているのである。しかも短い。だれかに悪戯されて切って折られたみたいな形をしている。あとで聞いたら、しっぽが短い猫というのはいるんだけど、胎児の時期に兄弟に押されてしっぽの骨が折れて固まったりすると、Uの字に曲ったようなしっぽになるそうだ。マーチンのしっぽはレントゲンを撮るとUの字なのだ。

この猫なんかどうだと、飛び切り見た目のいいしっぽの長い猫(のちのバード)が差し出された。

一匹選べば五匹が殺処分。

脳のなかでは小松美彦が問う。君のなかに優生思想はないかと。

答えは決まった。

「六匹全部、頂戴します」

夫が叫んだ。

「責任取れんのかよ!」

取る。いや、わたしだってどうやってとるのかわからないけど、そんなもん、あとから帳尻を合わせりゃいいだろ!ていうか君はなんなんだ。いきなり衝動で猫が欲しいといったり人に責任を問うたり。訳わからないだろが!

こうして六匹の猫が我が家にやってくることになった。

おばあさんは薄汚れたゲージを用意してくれた。そして手紙をくれと涙ながらに頼んだ。ヒョウ柄のおばさんが柄にもなくもらい泣きしていた。猫は少しも鳴かずに車に収まり、海辺の町から一転して山奥の我が家へとやってくることになった。

読む本は人の行動に影響を与えると思う。

いわゆる「表現の自由派(わたしにいわせればドスケベブックの自由派)」は、空想と現実の区別はつくとかいうけど、嘘だって。悪書は人を悪の道に誘い、そして良書は人の行動を良い方向に導く、はずだ。レイプは楽しいっていうポルノを読めばやってみたいなと思うだろうし、いのちの弁別に抗う本を読めば六匹の猫を引き取ることに……普通はならないか。ならないような、気はしなくもない。

でもいいの!これでいいの。

わたしは心のなかの小松美彦に誓った。

猫は苦手ですけど、それなりにうまくやっていきます。天から見守ってください。

ちなみに小松美彦は東京にいて、天国にはいない。

家について判明したのは、ゲージのなかに敷いてあった新聞紙が、聖教新聞だったことだった。 

 

あ、長くなったから続く、で。