渋谷系と性

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オリジナル・ラヴの転機になったといわれているイレブングラフティのなかの一曲、「アイリス」。指輪をしている女性との情事の歌で、「君は嘘を隠し帰っていく」「綺麗な大人のふりして」というんだから、どう考えても不倫の歌なんだが、当時2ちゃんねるのスレのなかでは「田島が不倫の歌なんか歌うわけないっぴ!」派が怒っていたのを覚えている。不倫も致し方ないときがあるだろと当時の水島さんは「人間だもの みつお」を脳内で添えていたんだが、音楽に詳しい子に言わせるとそもそも渋谷系には性の香りがタブーだというんである。「不倫なんて許されるわけないでしょー!」。イレブングラフティはコケて、オリジナルラヴは失速、迷走していくのだが、渋谷系という枠から大人になってはみ出てしまったのがイレブングラフティだったとも考えられる。一方、渋谷系の王子様だった小沢健二は、「線路を降りたら」と迷ったあげくにアメリカで療養生活を送ることになった、という。性に対する拒絶感と渋谷系というのは、だれかに論じてもらいたいテーマだ(自分じゃ論じないのか!)

 

うん、面倒だからな。以上。

ある光

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そのころ、わたしたちは鶯谷の上野カトリック教会の近くでお茶をするのが習わしだった。

わたしは三十代で、みんなのあいだでオザケンの話は定番だった。ちょうど渡米したころだと思う。王子様は行ってしまったのだ。

鶯谷ルノアールはヤクザが話し合いの場に使っていて、わたしたちがオザケンや神様について話している後ろで「××には落とし前をつけてもらわないと」などと物騒な話し合いをしていた。

「水島さんの後ろで、ヤクザが!」

生まれて初めて作ったスーツはモッズスーツだったという男の子が、腹をよじるようにしてルノアールの階段で笑った。

みんな若かった。先行きは暗かったけれど、無我夢中だった。

どうしているか、どうしているか。

あれからもう、二十年経つのか。若かった。

笙野頼子とTwitterフェミニズム

 

笙野頼子氏はTwitterのヲチャであることは間違いなく、かつ、ある人物のツイートを徹底的に読み深めて「ひょうすべの国」の構想を練ったであろうことをわたしはほぼ確信している。残念なのは、その中心人物がいまはTwitterをTRAの策略で追われてしまったことなのだが、笙野氏の手により思想の核が文学として残されたことはせめてもの救いだったと思っている。笙野氏には感謝している。わたしは当該の人物のツイートを追うばかりで、それを残すことには力及ばなかったから。

The End

ビリー・ジョエルというミュージシャンは、人気絶頂期のとき日本においては暴走族のお兄さんお姉さんの御用達だった。コークハイを飲んでビリー・ジョエルを聴き、シンナーを吸う。そういう文化のなかのひとつとして認識されたので、不当に評価が低い(本国アメリカにおいては知らない)。

わたしがビリー・ジョエルを再評価することになったのはいまから十年ほど前で、機会あって都心の家を手放して田舎暮らしを始めてからだった。田舎暮らしでは二回、移転している。そのときにたまたま「グッドナイト・サイゴン」という反戦歌の和訳を読んだ。渋い。訓練を終えた新兵たちが、遺体を入れるビニール袋で梱包されて前線を後にする――真夜中には敵の影におびえ、みなでドアーズを聴く。死んでいった友の名を呼ぶ。そういう詩だ。曲からドアーズの「The End」が聞こえてきそうなのである(音楽が音楽を連想させる)。

マイライフという曲の歌詞も面白い。現代的な生活(資本主義的、ってことだろう)に嫌気がさした男が家を売り払って西海岸で生活するのだが、たいしてうまくいってない、だがほっといてくれ俺の人生さと周囲を突き放すといった内容だ。当時のわたしの気分にぴったりときた。

ビリー・ジョエル鬱病に苦しんだらしい。だろうな、と妙に納得がいった。絶望したことのある人の書く詩だ。

わたしは音の洗練であるとかには疎いが、ビリー・ジョエルの詩が良いのは保証できる。

オーネスティとかも、褒めるのが恥ずかしいけど、やっぱりよいよ。

レコファン下北沢店

一年だけ、井の頭線の浜田山に住んでいた時期がある。

スマップの木村拓哉も一時期住んでいたという噂があった駅で、確実に住んでいたのは菅井きんである。

で、井の頭線の浜田山。若者あこがれの地、吉祥寺と下北沢にはさまれている。最高である。

この街に住んでいたとき、なんにもしない一年を過ごしたといっても過言じゃないんだが、レコファンの下北沢店で中古レコードを漁ることだけはやった。南アフリカ共和国の帰国子女と仲良くしていて、彼女から紅茶とブリティッシュロックを教えてもらった。彼女はレコードを後ろから引き抜いてカタカタとせわしなく落としてはどんな盤があるのかをスピーディーにチェックした。そしていい掘り出しものを見つけ買い求めると、お母さんが南アフリカで習い覚えたスコーンをお茶菓子にして、部屋でピーター・ガブリエルがいたころのジェネシスを聴いた。わたしの地味な青春のなかでも、この思い出は輝いている。「ピーターさまは、ステージのまえにアールグレイを飲むらしい」とかいって、アールグレイのストレートを飲んだ。もちろん元祖のジャクソン社のだ。

 

その下北沢のレコファンが、もうじき、店を閉めるらしい。跡地はABCマートになるのだとか。久しぶりに東京に行きたい衝動にかられたが、コロナの騒動のなかで時は過ぎていくのだろうな。東は遠い。

結婚祝い

アラフォーの友人がついに結婚する。

大好きな友人なので結婚祝いを考えて当人に「なにがいい?」と尋ねたが、「考えておく」と気のない返事。で、こちらから、「アイディアがないならウエッジウッドのカップアンドソーサーになるけど」と定番のものを挙げておいたら、ウエッジウッドを知らないという。

www.wedgwood.jp

検索してみろと急かしたら、彼女はその場で検索。

「わー可愛いー」

「それでいい?」

「うん、いい。これでいい」

 

で、久しぶりに自分でもウエッジウッドのサイトを見に行って、頭を抱えている。

こんなに高いもんだったか?

友達の寿が続いていた時期は、いまとお金に対する感覚が違っていたようだ。とはいえ、結婚祝いだもの、これぐらいのものを贈らなくてどうするっていう気もする。

いざとなったら金に換えろとアドバイスした(ウエッジウッドの食器は中古でも買い手がつく)。水島はなんでもよく知っていると、変な関心のされ方をした。

 

彼女がいなくなったら、寂しくなるんだろうな。

知り合って七年間、わたしは幸せだった。

ありがとう。